2012年5月24日 (木)

介護保険のサービスについて34:ところで、皆は個室を望んでいるのか?

前回、「(地域包括ケア研究会報告書にあるように)特養をケアが組み合わされた集合住宅として位置付けるなら、特養はやはり全室個室であるべきだ。」と書いたところ、TAROU57さんから

「年金だけで暮らしてる方なんてどうなるのでしょう?

介護実習で特養に行きましたが多床室しかなく完全なプライバシーはないのだけれど、職員の方とわきあいあいと生活されていたように感じました。

それは、職員の方が利用者の方をしっかり見守っていらっしゃったからと思います」

とのコメントを頂いた。

まさに「待ってました!」というべきコメントである。このことについては「住まいのかたち」の最後のまとめで触れようと思っていたのだが、待ちきれなくなったので、先に書くことにする。

そして、TAROU57さんのコメントにお応えするならば、はじめに「お金」のことを書くべきだが、これについてはじっくりと書く必要があるので、先に「個室でなければならないのか」ということについて僕が感じていることを述べたい。

介護関連のパンフレットや資料等を見ると、よく、「人は誰でも住み慣れた地域で最期まで暮らしたいと考えている」という表現が使われている。また、「個室化は人権の問題だ」という。しかし、介護サービスを利用するような状態になった人は全員そのように考えているのだろうか?ということは、僕にとって長年の(といっても10年くらいだが)疑問であった。

何回か書いてきたが、MSWとして老人患者の退院後の生活調整をしていた際、家族は老人病院への転院を希望することが多かった。それに対して、大学の講義でも、国の方針でも、「出来る限り在宅で」ということは当時から言われていたことだ。そして今でも「施設から在宅へ」という流れは変わっていない。各種調査の結果でも、要介護となった高齢者は“(本当は自宅で暮らしたいが)家族に負担をかけたくないから施設入所を希望する”ということになっている。だから要介護になっても在宅で過ごせるようにと、サービス付き高齢者住宅があちこちで建てられている。そのうえ今まで施設と呼ばれていたところも「ケアが組み合わされた集合住宅」と位置付け、サービス提供のあり方を変えていくという提案がなされている。

これからは、いろいろなかたちの「住居」が出てくるのであろう。

僕たちは、「在宅」というものについての概念を変えなければならないときにきているのではないか。


― おっと、この項の結論を書いてしまった。。。 ―


で、ここからが僕の意見である。

世の中の流れが前述のとおりであっても、僕はどうしても違和感を払拭できない。平成18年ごろ、ある雑誌に「高齢者住宅なんて、しょせん『あてがわれた在宅』ではないのか」と書いたら、あとで仲間から怒られた。しかし、6年経った今でも、その感覚は変わらない。だいたい、高齢者住宅、すなわち高齢者に特化した住宅ってなんだ?それって“あり”なのか?単なる「家風施設」じゃないのか?。。。本当に「権利」を言うなら、それは「個々が自ら選択できる」ということだろう。それならば、段差がある家に住み続ける自由も、多床室で暮らす自由もあるはずだ。そしてそれを可能にさせるのが本当の介護サービスなんじゃないのか?「こういう住宅を作ったから、(要介護の人は)これからはここで暮らしてください」といわんばかりの現在の高齢者向けの住宅政策や施設の個室化は、実は選択の自由を奪ってるだけなんじゃないのかという漠然とした違和感が、ずっと残っているのである。それはまた、「これって本当に現在の高齢者世代の方々の希望なのだろうか?」という疑問でもある。なぜなら、介護保険も高齢者住宅も、介護を受けている高齢者が作った制度ではないからである。今、介護は「2025年」を想定して制度設計がなされている。それは団塊の世代がいわゆる後期高齢者になる時代だ。そしてその制度を作っている主役は、団塊の世代とその後輩たちだ。2025年まであと15年もないから今から準備を進める、のは良い。しかし、現在施設に入所している人、つまり今の高齢者が、15年後の高齢者の意向に合わせる必要はなかろう。大雑把に言えば、戦前戦後で日本人の意識が大きく変わったという。ならば戦前に区分される人たちが(つまり今の高齢者が)サービスの受け手の主役である間は、その人たちの感覚に合わせた制度設計、制度運営がなされるべきと思うのだ。

ただし、僕が高齢者と呼ばれる年代まで生きていれば、やっぱり個室を主張すると思うが。。。

次回、利用者の負担について、僕の感じることを述べる。

2012年5月22日 (火)

介護保険のサービスについて33:住まいのかたち6

平成24年介護報酬改定で介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム:以下「特養」)の多床室は基本報酬を大きく下げられた、と前に書いた(このシリーズ14あたり)。しかも、平成244月以降に建築される特養の多床室はさらに報酬が下がる。そして、これはきっと国が特養の多床室をなくそうとしているからではないか?と推測した。

特養に多床室が残っている(残っているというより、多数派だと思うが)のは、建築コストだけの問題ではない。平成1710月から施設の居住費と食費が利用者の自己負担とされたことで、個室の居住費を支払うだけの経済的な余裕のない利用者は負担の少ない多床室を選ばざるを得ない。だから、「施設側としても利用者のことを考えると多床室を残さざるを得ないのだ」と主張する人たちもいる。確かに一理ある。これに対し、施設にいても個人のプライバシーは守られるべきということから「個室に入るという人権の問題と支払い=負担の問題は別だ」と言う有識者もいる。これももちろん一理ある。

そもそも、「住居」とは何か。子どもだって小学校に上がると「自分の部屋が欲しい」と言う。若者のルームシェアだってそれぞれの個室を確保する。夫婦や本当に気の合う者同士がひとつの部屋に暮らすのは選択の自由だが、見ず知らずの者同士がある日突然同じ部屋で寝起きするようになり、そこで最期を迎えるというのでは、住居とはいえまい。病院や学生の寮が“相部屋”でも許されるのは、そこが「いつかは出て行く場所」だからだ。ずっと住み続けるべきところ、つまり住居は、個室が当たり前だろう。

そう考えると、特養を集合住宅として位置付けるなら、特養はやはり全室個室であるべきだ。特養が施設ではなく住宅になると方向付けがなされた時点で、特養は個室化されるべき運命(?)となったのだ。

たしかに、「利用者負担」の問題はこれからも課題として残るだろう。また、たとえば政権がかわって大きな改革が起こり、「地域包括ケア研究会報告書」が全否定される時があるかもしれない。しかし、“金が無いなら相部屋で暮らせ”という、まるで貧困者を狭いところに閉じこめるような発想は、やはり排除されるべきではないか。

では、いま現に存在する特養の多床室はどうなるのか?

それは僕にはわからない。

(この項まだ続く)

2012年5月18日 (金)

介護保険のサービスについて32:住まいのかたち5

前回、2025年に向けて高齢者の集住化が進んで施設はなくなると書いた。なくなるというのは少々大げさな表現かもしれないが、特別養護老人ホーム等の介護施設が現行のような施設体系でなくなることは確かだと思う。


「地域包括ケア研究会」報告書では、2025年の地域包括ケアシステムの姿として、「地域住民は住居の種別(従来の施設、有料老人ホーム、グループホーム、高齢者住宅、自宅(持ち家、賃貸))にかかわらず、おおむね30分以内(日常生活圏域)に生活上の安全・安心・健康を維持するための多様なサービスを24時間365日を通じて利用しながら、病院等に依存せずに住み慣れた地域での生活を継続することが可能になっている」としている。

その上で、施設についてはリハビリテーションスタッフが重点配置され、病院と住まいの中間施設として位置づけられるとし、こうした機能を持たない従来型の介護保険施設は「ケアが組み合わされた集合住宅」となり、そこでは基本的な見守りと生活支援サービスが提供され、医療・看護・介護サービスは原則として外部の事業所から外付けで提供される、とした。


つまり医療や介護が必要な高齢者を在宅に帰すことを目的とした、病院と住まいの中間に位置するものこそが「施設」であり、そうでないものは、建物の形は“施設”でも「集合住宅」という位置づけになる、ということである。

これには、高齢者がその状態に応じて病院や施設を転々とするのでなく、高齢者がひとつの場所(施設)に居続けることが出来、医療や介護のサービスは必要なものが必要なだけ外から提供されるということでもある。厚労省等の行う調査結果を見ると、要介護高齢者が施設に期待することとしては、「最期までここにいられること」が上位に来ているので、この発想は「なるほど!」と頷けるものである。


イメージとしては。

病院での治療が終わってもまだしばらくリハビリが必要な人などが入るのが“施設”であり、ここでは条件が整い次第、退所して住居に帰ることとなる。

で、住居とは単に自宅ということではなく、高齢者住宅や有料老人ホーム、グループホームも含まれる。さらに、現行の特別養護老人ホームなども「集合住宅」として住居の範疇に含まれ、今のように看護師や介護士が多数配置されて常時医療や介護が受けられるのではなく、基本的なサービスは生活にかかわるものと見守りだけになる。そして、これら“住居”には外部から看護や介護のスタッフが来てサービスを提供する。これはたぶん、今回の報酬改定で新設された定期巡回・随時対応型訪問介護看護のようなサービスが施設(そのころは集合住宅)や高齢者住宅等に提供されるということだろう。


僕としては、それではサービス付き高齢者住宅と有料老人ホームと特別養護老人ホームはどこがどう違うのか?という疑問が沸いてくる。また、厚労省の資料を見ても、まだまだ特養ホームは増えることになっている。

きっと現時点では方向性が決まっただけで、人員基準や運営基準がどうなるのか、それはこれからの議論となるのだろう。


そういうわけで、将来、いわゆる自宅で介護を受けながら生活することができない高齢者は、高齢者住宅や「集合住宅となった老人ホーム」に住むことになる。つまり、“施設入所”ではなく、“集合住宅居住”というわけである。

どうも、わかったようなわからないような整理である。「帰るところは全部『家』と呼んでしまえば、みんな家に帰ったことになる」と言われているようで、なんだかだまされているような気がしないでもないが、「地域包括ケア研究会報告書」を読むかぎり、僕の理解力ではそのようにしか読めない。

だから、「集住化が進むが施設はなくなる」と書いたのだ。

そしてこのことは、今回の介護報酬改定でも示されている。と僕は読んでいる。

次回そのことについて書く。

2012年5月16日 (水)

介護保険のサービスについて31:住まいのかたち4

前回まで、わが国の都市への人口集中と核家族化そして核家族仕様の住宅環境等を考えると、いままで以上に要介護高齢者の在宅介護は困難になるだろう、と書いてきた。実際、介護保険の需要をながめれば、在宅サービスの利用が伸びているとはいえ、まだまだ施設利用の希望が多いといえよう。

もう30年近く前から(本当はもっと前からかもしれないが)、要介護やそれに近い人の施設志向は強かった(いや、本人というより家族が施設志向なのだと思うのだが)。しかしこれからもそれは続くのだろうか。これにはちょっと疑問符がつく。あと10数年後に介護サービスの受け手になるであろう団塊の世代の人たちが、施設で集団かつ画一的なケアをされることに満足するとは思えない。今はカラオケで北国の春、輪になって風船バレーでも施設利用の高齢者は楽しんでおられるが(いや、僕の祖母は子ども扱いが我慢ならぬとこぼしていたが)、現在60歳代半ばにさしかかる団塊の世代の人たちはそれをよしとはしないだろう。それに、団塊の世代の人たちは家族が施設を勧めたとしても素直に言うことを聞くとは思えない。

そしてもうひとつ。団塊の世代がいわゆる後期高齢者となる2025年、要支援・要介護認定者は現在の約500万人超から約700万人まで増えるとの予測があるという。だからいまから施設を増やしても当面の間は需要があるという考え方も出来よう。しかし、もろもろのコストその他を考えたとき、“お金”すなわち財源がもつだろうか。建てるのは事業者かもしれないが、利用者にかかるサービスの対価は9割が介護保険から給付されることはたびたび書いてきた。ある意味“出来高払い”でしかも上限がある居宅サービスに対し、施設は入所すれば「1日いくら」が基本で、それにいろいろな加算が付いてくる。上限は無い。つまり、「施設はコストがかかるしくみになっている」のである。だから需要の伸びに合わせて(あるいは先取りして)介護保険の施設を増やしていったら財源的にはとても耐えられないだろう。

現在、国は住み慣れた地域で暮らすことが出来るようにと在宅での介護を進めているが、これらのことを踏まえればそれはむしろ当たり前の流れであり、これからはますます“介護保険を使うようになっても家で暮らす”ことが求められてくるだろう。


その前に、要介護状態になることを予防するというのが本来だということで、平成18年に介護予防が大きく掲げられたが、それほど伸びていない。だいたい、介護予防を介護保険から給付することに異論もあるし、当時の広報が「要介護状態にならないようにがんばりましょう」というより「制度(財源)の持続のため」という意味合いが強かったので浸透しなかったということもあろう。


そんなことを考えているときに目にしたのが「地域包括ケア研究会報告書」である。もう2年も前に発表された提言書であるが、「団塊の世代が75歳以上となり高齢化がピークとなる2025年」に、病気や介護が必要な状態になっても医療と介護のサービスが適切に切れ目なく提供されるようなサービス提供体制、地域包括ケアシステムが構築されることをめざしている。

そして、このシリーズのテーマである平成24年度介護報酬改定でも、この提言が盛り込まれたサービスの新設・改定がなされた(定期巡回・随時対応サービス等)。

いまここで、この報告書について論ずることはしない。僕としては、この報告書に書いてあることを踏まえて制度改定の流れ等を見たときに、これからどうなるかということを、僕なりに感じたまま書いてみたいということだ。

まあ、地域包括ケア研究会報告書を読んでの、出来の悪い読書感想文とでも言ったところか(僕のレベルでは、評論にはなりえない)。

で、まず第一に。

施設というものが解体する。これはなんとも奇妙なことだが、集住化は進むが施設はなくなるということである。相反するようで、理屈が合うのである。

どういうことか。次回に続く。

2012年5月15日 (火)

週末

先週末はいろいろあった。

金曜夜、友人と飲みに行く約束をしていたが、急に会議が入り、その会議中に別の中学時代からの友人から電話が入って「中学の仲間が集まって飲むから行かないか」という。しかも全然覚えていない名前を挙げて「そいつが実は数年前に○川賞とったので、今日は○川賞作家を囲む会になるのだ」という。

申し訳ないが、記憶にない同窓生だ。しかしそれでは興をそぐと思ったので、「なつかしいなあ。でも、今会議中だわ。遅くなると思うがあとで電話する」などと答えてしまった。

僕が記憶にないということは、彼も僕を覚えていまい。しかし、同じ時期に同じ校舎で学んだ縁である。素直に「おめでとう」と言いたい。

で、会議後、先約の友人とかなり飲み、電車は久しぶりに寝過ごして中学同窓生の「囲む会」には合流できず。

土曜は畑に出た。これは昨日の記事のとおりである。

日曜は早起きして中央道を西へ。

双葉SAからの富士山である。

0513

やはり富士は良い。なんだか元気が出てくる。しかし、僕のお勧めは、

0513_2

甲斐駒ケ岳である。須玉ICで降りると、東に富士、西に甲斐駒を望むようになる。

富士はたしかに凛々しく気高い。しかし、そんな派手な富士の反対側に、しかも南アルプスの他の山々からも少し離れて、いじけるでもなく威張るでもなく、甲斐駒ケ岳はそびえている。

その謙虚さというか、つつましさが好きだ。

30歳で急逝した山の先輩がこよなく愛した山でもある。酒を飲みながら山談義をすると、いつも「甲斐駒こそ俺の山だ。だからいつも単独行なんだ」と目を輝かせて語っていたS先輩。

それがゆえ、なんとなく、甲斐駒ケ岳は僕にとって登る対象ではなく存在を確かめる対象にとどまっている。故先輩の大切なものを汚してしまうような気がするからだ。

で、僕はかつての山男ではなくなっているので、そのまま国道を北上して北八ヶ岳を歩いたわけだが、そちらの記録をとることを忘れてしまった。

夕刻帰宅。勝沼ワインを飲んでPCも開けずに寝てしまった。

2012年5月14日 (月)

ヤーコンの一生(その1)

この畑を借りはじめたとき、ホームセンターで「ヤーコン」の苗というのを見かけた。

そのときはなんとも感じなかったのだが、その後、ネット通販で同じ名前を見かけ、オリゴ糖が豊富だとか生でも食べることが出来るとかいった謳い文句に興味をそそられ、苗を買ってしまった。

1年目は雨が多くいつも土が湿っていたためか、あまり収穫できなかった。しかも生で食べたらあまり旨くなく、家族から顰蹙を買った。

2年目はまあまあだったが、家族からは「こんな芋は1~2本あれば十分」と言われ、職場に持っていったら女子職員に大評判だった。どうも、天ぷらにしたら美味かったらしい。

3年目は猛暑と旱魃で、前年の1/3の収量で、しかもひょろひょろ細い芋ばかりだった。しかし、種芋がたくさん取れた。

で、昨年。4年目。どうぜ家族は食べないし、ひょろひょろした芋しか取れないようでは職場にも持っていけないし、というわけで作物としては降格。種芋は畑をぐるっと囲むように埋めておいた(つまり生垣にしようと思ったのだ)のだが、これが良かったのか大変よく育ってつぼみまでつけた。これは、このブログにも昨年初冬に載せたとおりである。

5年目となる今年も、例年どおり、5月中旬に芽を出してきた。

今年こそは花を見たいものだ。今後、枯れることがなければ12月はじめまでの付き合いとなる。


0512

もうひとつ、今年こそ花を見たい「ニンニク」だが、花芽はこのとおりへにゃへにゃになっている。これで花を咲かせることが出来るのだろうか。

0512_2

2012年5月11日 (金)

介護保険のサービスについて30:住まいのかたち3

在宅での介護はいろいろな事情で難しい、これからは老々介護や単身独居の要介護高齢者の生活自立を考えなくてはならないのではないか、という主旨で2回書いてきた。

人口が集中する都会の住宅は核家族を想定した間取り・構造になっていて、介護の必要となった老親を呼び寄せても同居するのは難しいだろう。だから地方も都市も単身を含めた高齢者のみの世帯をどうやってフォローしていくかが重要となってくると思う。

また、現在、都市部の核家族仕様の住宅の家主になっている5060歳代の人たちも、あと20年もしたら多くが要介護高齢者になる。そのときは誰が世話をするのだろうか。今は結婚しない若者が多いので、同居の息子・娘に見てもらえるか。家の人員が変わらなければ、家は狭くならないのだから、理屈では在宅介護が可能となる。。。というのは楽観的過ぎるだろう。一日のかなりの長い時間を寄り添っていられる老々介護と違って、同居して介護する息子・娘は仕事に行かなければならない。自分の時間もたっぷり必要だ。僕の経験上、在宅介護は「誰かひとりに押し付けた時点」で皆がギスギスしてくる。ひとりっこが仕事を続けながら1人で要介護の両親の世話をしていたらパンクするだろうし、兄弟2人でどちらか一方がいつも介護を押し付けられていたら兄弟喧嘩になる。「兄貴はとっとと所帯を持って外に出た」などと言いながら親の面倒を見ていたつもりの弟が、親との同居を条件に結婚したら嫁姑の仲が続かず1年で外に出た。結局兄弟で「どちらが親と同居するか」などという話になる。で、親の面倒も見ないで遺産だけはあてにする様は、昔も今も変わらない。

そしてもうひとつ、大きな未経験の事柄がある。これから15年後の介護の対象、つまり要介護高齢者の多くは「団塊の世代」だということだ。この世代がいわゆる後期高齢者になるとき、日本の「老人」のイメージは今と大きく変わっているだろう。

段差が多いという日本の家屋構造、核家族化と都市への集中が極まっている住宅環境、少子化=家族だけでは介護力が確保できない家族構成。。。これらの条件を考えると在宅の介護はこれからさらに難しくなる。そのうえ介護サービスは財源不足とされている。さらに高齢者像も変わってくる。20年後、30年後の日本人の最後の時期の迎え方は、どのようになっているのだろう。。。。。。。


で、「住まいのかたち」である。

「地域包括ケア研究会報告書」を読んでいると、これからは「住まい」のかたちが変わっていくであろうことが示唆されている。それが良いことなのか悪いことなのかの判断はできないけれど、この方向性が続くことを前提に、今後の介護がどうなるかを想像することは難くない。

というわけで、次回からそれを書く。

2012年5月 9日 (水)

介護保険のサービスについて29:住まいのかたち2

前回、「介護保険は要介護者が在宅で生活できるように支援することを目標にしているが、現在の住宅事情ではそれは大変難しい」旨のことを書いた。

もっとも、在宅介護が大変なことは25年前とても同じだった(もっと前からそうだったかもしれないが、それ以上前のことは知らないので書けない)。僕は東京都のはずれに近いところの病院のMSWだったわけだが、都心の大きな病院から転院してくる寝たきりやそれに近い状態になってしまった老人患者のうち、「自宅」に帰ることができたのは3割弱と思う。もちろん、退院・転院の相談に来た家族には、まずは教科書どおりに在宅介護の話をするのだが、すんなりと自宅に退院するのは農家や会社等の経営者で大きな家と家族の介護力に恵まれている場合だ。それでも認知症(当時は痴呆といったが)で徘徊がはじまったりするともう大変で、奥さん(もちろん高齢者)や娘さんが介護するのだけれど、周囲は「これでは介護する側が倒れてしまう」と言って施設入りを勧めるのであった。

それに比べ、近くの大きな団地住まいの人からは「うちに親を引き取ることはできないので特養入所の待ち期間だけ老人病院に入れることはできないか?」という相談がきた。気の早い人なんかは老人病院のパンフレットをいくつか持ってきて、「どこかご存知のところがあればあなたのコネですぐに入れるようにして欲しい」と言ってきた。もう、在宅介護どころではない。当時の多くの老人病院の実態を知っていた僕としては、コネがあるなんて思われるのも心外だ。さすがに“しびれた”ので、そういう人の家庭訪問をしてみることにした。「ここにベッドを置けばご家庭で介助出来るじゃないですか」と言い返してやろうと思ったのだ。。。で、惨敗した。団地の間取りというのは3世代同居ができるような構造ではなかったのだ。むしろ、今までよく同居して奥様(お嫁さん)が介助されていましたね、と声をかけてしまったくらいだった。

ごくごく普通の一戸建ての家庭も難しかった。同居の息子(娘)夫婦が在宅介護を拒む2大理由は「こどもが受験」「パートに出ないとローンが払えない」であった。これは今でも同じじゃないのか?もちろん、それを理由に介護を逃れる家族もいよう。しかし、はずれとはいえ東京23区内である。一戸建てを買えば、妻がパートに出るのは当たり前の時代だった(今もそうだと思うけれど)。母親がパートに出ている間は、孫娘が病院に来ていたりする。これが受験生だったら、たしかに“この環境を何とかしてくれ”と言いたくもなるだろう。

さらに、介護教室なんてものはない時代だったから、自分の親ならまだしも、義理の親の介護では足がすくむ者もいただろう。それから当時は住宅改修というのも珍しかったから、トイレを直そうとか風呂の構造をどうにかすれば介助がしやすくなるのではないか?という発想もわかなかったと思う。。。まあこれは、MSWたる僕の責任でもあるが。


それでも、嫁が寝たきりの姑の面倒を見る、娘夫婦が介護の必要になった親と同居するというパターンが、世間が想像する一般的な(?)姿であり、率としては老人病院行きや特養待ちの半分もないが、もちろんあった。

また、住宅事情が在宅介護を阻んでいるということを長々と書いてきたが、“逆もまた真なり”で、要介護の本人はアパートに独居で、近くに娘さんが嫁いでいるとか息子夫婦が住んでいるといった場合では、苦労しながら在宅介護を続けることができた。「同居はできませんが朝晩必ず様子を見に行くのでなんとかひとりで生活させることはできませんか」というケースである。

それから老夫婦の場合。そのころは“老々介護”という言葉は一般的ではなかったが、奥様がどうしても主人は家に連れて帰る、またはご主人が何が何でも妻の面倒は自分が見る、とおっしゃって、どう考えても施設に入れたほうが楽だと思うのに、家に帰っていった例は多かった。


以上より、本人・家族の意思が強い場合は、必要・可能なサービスを紹介してつなげていく。本人・家族が迷っているときはひとつひとつハードルをクリアしていく。家族が逃げ腰でも本人に少しでも希望があることを嗅ぎ取れば在宅介護を模索してみる。。。それがMSWの役割となるのだが、こういうケースは勉強会でたびたび好事例として取り上げられるくらい、当時も在宅復帰は難しかったのである。


こんな体験を通して、僕は「もう、日本ではよほど古い家(建物じゃなく家系というか意識が古いということ)でない限り、介護の必要になった老人を家で世話するというのは無いのかもしれない。これからは老々介護や独居老人を前提に介護や福祉を考えるべきではないか」と、おぼろげながらに思ったものだ。

それは、25年を経て現状を見れば、あながち間違いではなかったことを示していよう。


それにしても今日は脱線してしまった。

次回、本題に戻りながら続きを書く。

2012年5月 7日 (月)

埼玉の休日&サツマイモの一生(その1)

5月の連休は、前半が仕事で後半は東北に行った(これについては、もうひとつのブログをお読みいただければと思う)。

その間を縫って、いわゆる優雅な休日のひと時を過ごした。

5月○日

寝坊をして朝の9時に起きる。

午前中、書きかけの原稿を仕上げる。

昼食はパンとコーヒーで済ませ、午後2時、畑に出かける。

畑は、すでに先週末のうちに耕しておいたので、土が軟らかい。畝を立てて、サツマイモの苗を植える。

Photo_3

畑の隅に植えてあった独活の芽が出ていたので、掘って収穫する。


Photo_4


堆肥からミミズを掘り出し、沼に出かける。

2時間ほど、釣り糸を垂れる。

すると、ネッシーならぬ、ビン沼だからビッシー(?さえないなあ)を発見、撮影に成功する。


Photo_5

と、こう書くとかっこいいが、実際は!

前の晩、飲みすぎて寝坊した。

連休前締切の原稿を仕上げておらず、あせって書き終えた。

家族はすでに出かけてしまっていたので、何もないから昼食はパンで我慢した。

先週末、雨が降ってきて畑仕事を中断していたので、サツマイモの苗を急いで植えた。

独活が芽を出していたのに気がつかず、青くなる前に、とあわてて掘った。

そうしたらミミズが出てきたので、ビン沼に釣りに行った。

ぜんぜんアタリがないので退屈していたら、「亀」が目の前を泳いでいった。

ちょうど携帯をいじっていたので、偶然撮影に成功した。

何のことはない、中年の平凡な休日のひとコマである。

2012年5月 2日 (水)

介護保険のサービスについて(「介護報酬改定について」改題)28:住まいのかたち

介護保険とは、要介護になった高齢者が居宅で自立した生活をするために必要な介護サービスを給付するしくみである、と言えよう。

介護保険法では、その第一条に「要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため」に介護保険制度を設けるとあり、第二条の4項において、保険給付は「被保険者が要介護状態となった場合においても、可能な限り、その居宅において、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように配慮」することとしている。

で、「居宅」を前提とするならどうして「施設」があるのかということになるが、じつは介護保険の施設は在宅へ復帰させることが本来の使命である。“終の棲家”といわれる介護老人福祉施設(以下「特養」)は人員・設備・運営に関する基準の「基本方針」に「可能な限り、居宅における生活への復帰を念頭に置いて日常生活上の世話などを行う」こととされているし、介護老人保健施設(以下「老健」)のそれでは「その者の居宅における生活への復帰を目指すものでなければならない」となっている。なんとなく、施設に入ったほうが楽だから。。。という理由で施設に入り(あるいは家族が入れて)、入所者も家族もそれで「終わり」という感覚になっているように感じるが、それは本来ではない。本当は「条件が整えば退所」しなければならないはずなのである。


さて、「居宅」とは、辞書を引けば「住んでいる家」「すみか」「住宅」とある。家とか住宅とかいうと、たいていは庭があって(まあ、僕は庭のある家に住んだ経験はないが)玄関をあがると茶の間や客間や、奥には仏間もあったりして、もちろん台所や風呂やトイレがあって、2階には各人の部屋があり。。。という家屋を連想するのが一般的ではないか(これらのものがすべて平屋に納まっていたりすると、お屋敷か農家だな)。

しかし、東京とその周辺、つまり東京とその通勤圏はそうは行かぬ。少なくとも昭和40年代末から50年代に東京周辺に建てられた建売住宅は「普通のサラリーマンでも手が届く価格」と、それに見合った“サイズ(しばしばこちらを忘れることがあるのではないかと思うのだが)”なので、つまり、コンパクトな家屋が多い。だから故郷から老親を呼び寄せて介護する。。。ということは実際には不可能に近いだろう。また、団地やマンション、アパートまで「家」としてもいいかもしれないが、これらは明らかに核家族や一人暮らしを想定しており、要介護になった高齢者とその息子(娘)世帯の3世代同居というのは珍しい。(もっとも、高齢者のみの世帯で団地やマンション、アパートに住んでおられる方もたくさんいらっしゃるが、このことについてはあとで触れる)


ようするに介護保険は「在宅介護」を基本とした制度であり、また老後に関するアンケートの結果などから「誰でも、たとえ要介護になっても住み慣れた自宅で暮らしたいと思っている。施設を希望するのは家族に負担をかけないため」などとよく言われるが、少なくとも首都圏においては、住宅事情からして在宅で介護を受けて生活するというのは難しいのである。


で、何を言いたいのか?    次号に続く

«ニンニクの一生(その3)