介護保険のサービスについて34:ところで、皆は個室を望んでいるのか?
前回、「(地域包括ケア研究会報告書にあるように)特養をケアが組み合わされた集合住宅として位置付けるなら、特養はやはり全室個室であるべきだ。」と書いたところ、TAROU57さんから
「年金だけで暮らしてる方なんてどうなるのでしょう?
介護実習で特養に行きましたが多床室しかなく完全なプライバシーはないのだけれど、職員の方とわきあいあいと生活されていたように感じました。
それは、職員の方が利用者の方をしっかり見守っていらっしゃったからと思います」
とのコメントを頂いた。
まさに「待ってました!」というべきコメントである。このことについては「住まいのかたち」の最後のまとめで触れようと思っていたのだが、待ちきれなくなったので、先に書くことにする。
そして、TAROU57さんのコメントにお応えするならば、はじめに「お金」のことを書くべきだが、これについてはじっくりと書く必要があるので、先に「個室でなければならないのか」ということについて僕が感じていることを述べたい。
介護関連のパンフレットや資料等を見ると、よく、「人は誰でも住み慣れた地域で最期まで暮らしたいと考えている」という表現が使われている。また、「個室化は人権の問題だ」という。しかし、介護サービスを利用するような状態になった人は全員そのように考えているのだろうか?ということは、僕にとって長年の(といっても10年くらいだが)疑問であった。
何回か書いてきたが、MSWとして老人患者の退院後の生活調整をしていた際、家族は老人病院への転院を希望することが多かった。それに対して、大学の講義でも、国の方針でも、「出来る限り在宅で」ということは当時から言われていたことだ。そして今でも「施設から在宅へ」という流れは変わっていない。各種調査の結果でも、要介護となった高齢者は“(本当は自宅で暮らしたいが)家族に負担をかけたくないから施設入所を希望する”ということになっている。だから要介護になっても在宅で過ごせるようにと、サービス付き高齢者住宅があちこちで建てられている。そのうえ今まで施設と呼ばれていたところも「ケアが組み合わされた集合住宅」と位置付け、サービス提供のあり方を変えていくという提案がなされている。
これからは、いろいろなかたちの「住居」が出てくるのであろう。
僕たちは、「在宅」というものについての概念を変えなければならないときにきているのではないか。
― おっと、この項の結論を書いてしまった。。。 ―
で、ここからが僕の意見である。
世の中の流れが前述のとおりであっても、僕はどうしても違和感を払拭できない。平成18年ごろ、ある雑誌に「高齢者住宅なんて、しょせん『あてがわれた在宅』ではないのか」と書いたら、あとで仲間から怒られた。しかし、6年経った今でも、その感覚は変わらない。だいたい、高齢者住宅、すなわち高齢者に特化した住宅ってなんだ?それって“あり”なのか?単なる「家風施設」じゃないのか?。。。本当に「権利」を言うなら、それは「個々が自ら選択できる」ということだろう。それならば、段差がある家に住み続ける自由も、多床室で暮らす自由もあるはずだ。そしてそれを可能にさせるのが本当の介護サービスなんじゃないのか?「こういう住宅を作ったから、(要介護の人は)これからはここで暮らしてください」といわんばかりの現在の高齢者向けの住宅政策や施設の個室化は、実は選択の自由を奪ってるだけなんじゃないのかという漠然とした違和感が、ずっと残っているのである。それはまた、「これって本当に現在の高齢者世代の方々の希望なのだろうか?」という疑問でもある。なぜなら、介護保険も高齢者住宅も、介護を受けている高齢者が作った制度ではないからである。今、介護は「2025年」を想定して制度設計がなされている。それは団塊の世代がいわゆる後期高齢者になる時代だ。そしてその制度を作っている主役は、団塊の世代とその後輩たちだ。2025年まであと15年もないから今から準備を進める、のは良い。しかし、現在施設に入所している人、つまり今の高齢者が、15年後の高齢者の意向に合わせる必要はなかろう。大雑把に言えば、戦前戦後で日本人の意識が大きく変わったという。ならば戦前に区分される人たちが(つまり今の高齢者が)サービスの受け手の主役である間は、その人たちの感覚に合わせた制度設計、制度運営がなされるべきと思うのだ。
ただし、僕が高齢者と呼ばれる年代まで生きていれば、やっぱり個室を主張すると思うが。。。
次回、利用者の負担について、僕の感じることを述べる。








